せっかく連休だっつうのに
2003年5月3日個人的にイヤなことが山積みでもう鬱々と…。
すいません、愚痴はいってるんで、だめな人は避けてください〜。
占いとかでよく、「あなたは他人から都合よく利用されやすいタイプ」って言われるんですが、ほんとそうなんですよ。いや、この頃は自分でもわかってきたので、言うべきときにはきちんと「NOと言う」、を心がけてはいるんで、普通の人からはあんまり利用される(?)ことはなくなりました。が、私のようなタイプにつけ込むのが悪魔的にうまい人って、たまにいるもので、つまり相性の悪いタイプの人が。嫌なことは、いやだと言わなくちゃ。今度こそは。結果がどうなっても。私が悪いんじゃなくて、私が「NO」と言うことが悪いんじゃなくて、相手が無理難題を言うのが悪いんだから。いや私が悪くても、相手も悪いんだから。イヤだって言うぞ嫌だって言うぞ…。ぶつぶつ。(自己暗示自己暗示)。
ところでこの頃、謎の白装束集団が何かと話題になっていますが。それがきっかけでふと思い出した話があってですね。その集団と関係がある話かどうかはわかりませんが。カルト宗教は精神にとってのジャンクフードである、みたいな言葉を本で読んだことがあるんですね。誰にでもある心の空腹感(あるいは"すきま")を手っ取り早く満腹にするためのものである、みたいなハナシです。
それからたとえば、人とうまく行かない悩みを抱えているとき、…あの人が自分を受け入れてくれないのは神を信じていないからだ、そんな人に理解を求めても無駄なこと、だからいままで苦しんでいたんだ、いまはもう神が自分を受け入れてくれている、だから幸せになることができた――というような意識のすり替えって、暗示に掛かりやすい人が、暗示に掛けることがうまい人にされたら、そんなに難しくないんじゃないかな…、
…という話を、職場の後輩が「宗教にハマる人の気持ちが理解できない」と言っていたので、こう話してみたら、わりと納得してくれたので、ここにも出してみました。
その前ふりがちょっとあって、後輩の子が、つい先日、中学時代の同級生に、久しぶりに会おうよ!と言って呼び出されたら宗教の勧誘だった、っていう話があって、それで。
ちなみに後輩の子は、勧誘を断ったんですが、そうしたら「せっかく幸せになれる方法を教えてあげたのに!」と言われて、「すっげームカついた」んだって。私的に見て、後輩が健全でちょっと嬉しかった。
そんで、ちょっと戻って…、神様が自分を受け入れてくれたから、あの人を許容できるようになった、周りに寛容になれるようになった、という方向への救いなら全然オッケーなんじゃん、と私はちょっと思うけど、でも、いわゆる新興宗教のたぐいは、受け入れ対象を100%入れ替え(?)みたいな感じ?その相手を自分の世界から排除したり、あるいは見下すかたちで自分だけ優越に浸ったりっていう…そんな感じのが多いんじゃないかなっつー気がします。こう、偏った救いかたっつーか心の栄養が偏ってる感じ。『こころのジャンクフード』って言い得て妙、という気がしますね。それからところで、こういうのって、宗教による神様作用じゃなくても、人と人との出会いとか、ちょっとしたきっかけとかでも日常的に、ふつうに起こっているものだと思うのね。宗教はそれを意図的に起こしているんだと思うけど。
あと、これはあくまでも一方向から見た、あるひとつの視点、ていうハナシなんで、まあ…、あしからず。
で、全然ハナシ変わるんですが、テディベアを作ろうと思ってるんですね。私、シャツとかブラウスとかがけっこう好きで、…いや、布が好きなのかな、結局。サイズや仕立てがイマイチなのに、模様や柄が気に入って買ったものがたんすのこやしになってるんですけど、それでテディ作ったら面白いかな、なんて、前から思ってたんですね。さて、いつできるか、わかんないけど。もし出来たら写真でも撮ってお見せしてみようかと。
すいません、愚痴はいってるんで、だめな人は避けてください〜。
占いとかでよく、「あなたは他人から都合よく利用されやすいタイプ」って言われるんですが、ほんとそうなんですよ。いや、この頃は自分でもわかってきたので、言うべきときにはきちんと「NOと言う」、を心がけてはいるんで、普通の人からはあんまり利用される(?)ことはなくなりました。が、私のようなタイプにつけ込むのが悪魔的にうまい人って、たまにいるもので、つまり相性の悪いタイプの人が。嫌なことは、いやだと言わなくちゃ。今度こそは。結果がどうなっても。私が悪いんじゃなくて、私が「NO」と言うことが悪いんじゃなくて、相手が無理難題を言うのが悪いんだから。いや私が悪くても、相手も悪いんだから。イヤだって言うぞ嫌だって言うぞ…。ぶつぶつ。(自己暗示自己暗示)。
ところでこの頃、謎の白装束集団が何かと話題になっていますが。それがきっかけでふと思い出した話があってですね。その集団と関係がある話かどうかはわかりませんが。カルト宗教は精神にとってのジャンクフードである、みたいな言葉を本で読んだことがあるんですね。誰にでもある心の空腹感(あるいは"すきま")を手っ取り早く満腹にするためのものである、みたいなハナシです。
それからたとえば、人とうまく行かない悩みを抱えているとき、…あの人が自分を受け入れてくれないのは神を信じていないからだ、そんな人に理解を求めても無駄なこと、だからいままで苦しんでいたんだ、いまはもう神が自分を受け入れてくれている、だから幸せになることができた――というような意識のすり替えって、暗示に掛かりやすい人が、暗示に掛けることがうまい人にされたら、そんなに難しくないんじゃないかな…、
…という話を、職場の後輩が「宗教にハマる人の気持ちが理解できない」と言っていたので、こう話してみたら、わりと納得してくれたので、ここにも出してみました。
その前ふりがちょっとあって、後輩の子が、つい先日、中学時代の同級生に、久しぶりに会おうよ!と言って呼び出されたら宗教の勧誘だった、っていう話があって、それで。
ちなみに後輩の子は、勧誘を断ったんですが、そうしたら「せっかく幸せになれる方法を教えてあげたのに!」と言われて、「すっげームカついた」んだって。私的に見て、後輩が健全でちょっと嬉しかった。
そんで、ちょっと戻って…、神様が自分を受け入れてくれたから、あの人を許容できるようになった、周りに寛容になれるようになった、という方向への救いなら全然オッケーなんじゃん、と私はちょっと思うけど、でも、いわゆる新興宗教のたぐいは、受け入れ対象を100%入れ替え(?)みたいな感じ?その相手を自分の世界から排除したり、あるいは見下すかたちで自分だけ優越に浸ったりっていう…そんな感じのが多いんじゃないかなっつー気がします。こう、偏った救いかたっつーか心の栄養が偏ってる感じ。『こころのジャンクフード』って言い得て妙、という気がしますね。それからところで、こういうのって、宗教による神様作用じゃなくても、人と人との出会いとか、ちょっとしたきっかけとかでも日常的に、ふつうに起こっているものだと思うのね。宗教はそれを意図的に起こしているんだと思うけど。
あと、これはあくまでも一方向から見た、あるひとつの視点、ていうハナシなんで、まあ…、あしからず。
で、全然ハナシ変わるんですが、テディベアを作ろうと思ってるんですね。私、シャツとかブラウスとかがけっこう好きで、…いや、布が好きなのかな、結局。サイズや仕立てがイマイチなのに、模様や柄が気に入って買ったものがたんすのこやしになってるんですけど、それでテディ作ったら面白いかな、なんて、前から思ってたんですね。さて、いつできるか、わかんないけど。もし出来たら写真でも撮ってお見せしてみようかと。
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