きのうのにっき

2004年1月25日
昨日は仕事のある土曜日でした。
出勤してみると、水曜の日記で書いた、薬局の本棚に飾られた(?)水戸黄門フィギュアの悪代官さまが、こんなことに…。
http://www8.vis.ne.jp/~d-17/photo/winter/DSCF2626.JPG

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こう、猿と差し向かいで酒を酌み交わしている図…とでも言えばいいんでしょうかね…。この猿は、よくある干支の招福置物(鈴)。

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それから、この前100円レンタルのときに借りたビデオをようやっと見ました。『ビューティフル・マインド』。
これは…、一度は見ておかなきゃな、って思っていたし、統合失調症ってものが映画でどう描かれているのかを見てみたかった、というのが頭にあったので、あんまり素直に見入ることができなかったです…。映画の見方として、私的にもったいないと思う見方でした。それからまた、何十年か前の、当時の精神医学の未発達さというか、そういうものを感じた映画でした。
が、まあ、私の中での評価は悪くないです。『17歳のカルテ』よりぜんぜんマシ。あれは映画を見る限りでは、ウィノナがボーダーラインディスオーダーだなんて、アホらしいとしか言いようがないですね。ま、ちょっと見方を変えて、問題児を預かる全寮制の女子校に無理やり入れられた少女たちの青春物語、として見れば、アンジェリーナ・ジョリーのキレた演技が光る、そこそこ面白い映画と言っていいんじゃないかなー。
統合失調症に話を戻しますが、うちの病院にも統合失調症の患者さんは通ってきています。年末の日記でちょっと話したY医師が診ています。この間、その患者さんに、薬局の窓口で、「自分の病気の病名を教えて欲しい」と言われて、…うっ、っとなったことはまだ記憶に新しいことです…。そういう時は、「先生は、あなたに、あなたの病状をどんなふうに説明したんですか?」というふうに必ず確認し、ダイレクトに回答するようなことはしない…これは、うっかり主治医の説明と食い違う話をしてしまうことで不信感を起こさせ治療計画を台無しにしてしまう危険を回避するためで、ぶっちゃけ我々の常套句ですな。で、患者さんはこう答えました「先生は、現代の医学では僕の病気をはっきり定義することはできないから、これ、という病名を決めることができない、って言いました」。「私もそのとおりだと思います」と答えました。内心Y医師の説明のうまさに唸りながら。そのまま少し話を続けましたが、その患者さんの知りたいことの中心は、病名のことよりもどっちかって言うと、薬を飲み続けることで肝臓が悪くなるって聞いたけど、そこんとこどうなの、とか、薬を飲み続けると寿命が短くなったりしないか、とか、そういうことのほうでした。病名を訊いてきたのは、もしかして話のとっかかりだったのかな、この人にとっては?でもって、確かに薬を飲み続けることにはリスクはあるけれど、日常生活を支障なくおくるためには必要なことだと思いますよ、というようなことを話したつもりだけれども、あまり落ち着いて話せていなかったし、ちゃんと患者さんに伝わったかどうかは、恥ずかしながら自信のないところであります…。この患者さんと、『ビューティフル・マインド』のなかのラッセル・クロウはどこか似た空気をまとっていたような気がしました。それからまた、ずっと以前に偶然見つけた、ある精神科のドクターのBLOGに書かれた一節を思い出しました。なお、以下の文章は5年くらい前に書かれたもので、統合失調症という言葉が登場するのよりもずっと以前のものであることをあらかじめおことわりしておきます。「我々の言語は、分裂病の体験を的確に表現するには、あまりにも不完全なのだ。(中略)彼女の体験している世界を少しだけでいいからのぞいてみたいと思うのだが、たかだか非分裂病者でしかない私にはそれは到底不可能なことなのである」
この、"たかだか非分裂病者でしかない"という表現が、なにか、こう、ピーン…と、印象的だったんですね、すごく。

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