『SASRA』3、4、届いてます。でも江戸編は私も雑誌で読んでるから…。

 

 

以下ネタバレ含む。
他の木原作品に関してもネタバレ含みます。

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私も江戸編は木原さんだろうと思ったのですけど。
私から見て木原作品で目立つのは、登場人物の持つ「障害」が、状況などを示す抽象的な意味でなく、本当に、んーと、機能的というか器質的な障害であることが多い、という点だと思うのですね。『脱がない男』の課長はまあ、あんまり、機能的には問題ないけど、器質的には後天的な奇形ということも出来る…で、おや、と思って、『牛泥棒』の口が利けない徳馬を経て『秘密』の充を見て、やっぱり、と、だいたい確信に至る訳ですが。『秘密』のことを考えると、やっぱ江戸編は木原さんでしょ、って思うよね。(あとそれと褌で)。
この『秘密』や江戸編って、(先天的であるにせよ後天的であるにせよ)そうであるからこその純粋で無垢な美しさ、可愛らしさ、いじらしさ、みたいな、そういうの…が、書かれてるのかなあ、もしかして?
などなどと考えてしまったりしてみたり。

コメント

りょう
りょう
2007年8月24日15:57

私とは別のアプローチで木原さんに行き着いているので、なるほど、そういう観点からも…とちょっと驚きました。
私は文章、話の運び、濃密な雰囲気など、わりと感覚的な見方をしています。

ところで、さっき気付いたのですが日記のテーマ一覧に木原作品専用が!
Dさんの木原ブームが続いているようで嬉しいです。

”D”
”D”
2007年8月24日20:31

フフフ、気付いていただけました?<木原カテゴリ
『牛泥棒』のあたりからあるんですよ。(^。^)

最初に雑誌に載ったのを読んだときから、江戸編だけ、ものすごくほかと違う感じがしていました。うーん、どう言ったらいいんでしょうね。そんで、最近になって他の木原作品を読んで、ああ、近い味がするなと。で、どこでその味を感じるのか考えてみた結果でした。(もしかしたらこういう風に「障害」と捉えそれを分類したりしてしまうのは私の職業病みたいなものなのかも知れません)。でもって、こういう「障害」を扱っても、ほかの作家さんじゃ書き方が違うような気がするんですよね。木原さんの場合は、りょうさんが以前に木原時間でお話されていたように、ドライで突き放した描写でその障害があらわされているんだ、と私も思いました。江戸編のラスト(ティティの視点に移る前)なんかはそのドライさの極致なんではないかと。しかもその味わいが非常にクセになる感じですね。なんかこう、口の中に残った香りというか余韻を味わう食べ物系?そんな感じに似てるかも。